上乃暮 誠実人の雑記 

NO.5(2023/12/12〜)



死刑について

  日本には死刑制度がある。私は死刑なんてつまり殺人なんて国家がよくできるな、私なら人を殺すことはできないので死刑に反対であり、まともな人間なら殺人はできないので死刑を廃止して、終身(生涯)、刑務所に入れて出さないという終身刑にすればいいのではと思うのであるが、現実にはサイコパスの人間がいるようでその人間は他人を殺すことに何のためらいもなく行えるのだという。
  テレビ番組でたぶんヨーロッパ人だと思うが(ヨーロッパでは死刑が廃止されたようで)日本も死刑を廃止にするべきで、日本の政治家には勇気がない?というようなことを言っていた気がする。そこで考えたのだが、日本では死刑は確かに存在するが、それは日本という国の裁判官がサイコパスだからではないかと思うのである。だから死刑を廃止しないし、法も改正されないのではと思うのである(したがって政治家も官僚もサイコパスなのではないかと思うのである)。
  例えば、平成18年に起きた川口園児死傷事故(埼玉県川口市の市道を走行中、助手席のカセットプレーヤーの操作で前方から目を離し、公園に向かっていた園児らの列に突っ込み、4人死亡、17人を負傷させた事故)の被告に対して、業務上過失致死の罪で懲役5年の判決が出されたが、裁判長の中谷雄二郎氏は、「遺族の悲しみはあまりにも深い」、さらに、現行法の問題点として「多数が死亡するなど過失や結果が重大なケースでは、業務上過失致死罪の法定刑の上限である懲役5年では罪を十分に評価できない状況にある」と述べているのである。
  どのような根拠で業務上過失致死罪の法定刑の上限が懲役5年となったのかは知らないが、被害者としては、相手に意図的な意思があって殺されたにせよ、意思がなくて殺されたにせよ、殺された被害者にとっては加害者の意思の有無より大事なのは殺されたという結果なのである。ここで思うことは、政治(三権)は金が欲しいのでこの世は科学の法則によって成り立っていると嘘をつき、魂も神も存在しないのだと嘘をついているところである。そのため政治(三権)は国家は、自動車を作る人間を悪人とは規定していないし、また自動車に乗る人間も悪人とは規定していないが、自動車によって殺人が行われやすいというのは事実である。したがってそのことを考えずに、「業務上過失致死罪の法定刑の上限である懲役5年だから罪を十分に評価できない状況にある」という判決を出されても、被害者は納得できないのである。いかに日本の法律が、国民の感情と乖離しているかがわかる。それは日本の法律が、政治(三権)が金が欲しいためにこの世は科学の法則によって成り立っていると嘘をつき、魂も神も存在しないのだと嘘をついているからである。私には裁判官もサイコパスだから死刑を廃止しないし、自動車メーカーが自動車を作ることを批判しないで税金をくださいと言っているのではないかと思えてしまうのである。自動車を廃止したりすれば、警察にも利権があるのだろうが(交通安全協会や運転免許センター等があるので)、自動車なんて危険だからなるべく乗るべきではないということを、誰も言わないのである。(商店街をなくして?とも言っていたような気もする)郊外に大型スーパーを作ることを官僚?が決めたというようなことを以前(もう相当前の話である)聞いた気がするが、結局郊外の大型スーパーに国民を行かせるということは多くは自動車で行かせるということであり、経済こそが第一で、なぜなら政治(三権)は金が欲しいのでこの世は科学の法則によって成り立っていると嘘をつき、魂も神も存在しないのだと嘘をついているのが政治(三権)の現実だからということを証明しているのではないかと思うのである。
 
  *国民は、自動車を運転する(あるいは乗る)のは、自身の嗜好ゆえかそれとも社会構造のゆえか、あるいは両方かを考えてみることが必要であろう。もし社会構造のためだけというのならば日本社会(国家)は悪だということである。自動車を運転する(あるいは乗る)ことの嗜好が社会構造によって生み出されたのであっても同様である。
 
(2023/12/12)



                       



日本は、無神論(者)の社会(国家)である。

  手術がしたいので、この世は科学の法則によって成り立っていると嘘をつき、魂も神も存在しないのだと西洋医学の医者は嘘をつく(歴史的事実である)。同様に金が欲しいのでこの世は科学の法則によって成り立っていると嘘をつき、魂も神も存在しないのだと政治家や官僚等は嘘をつく。本来のプロテスタントの資本主義は神あり、魂ありだったようだが、これら(医者や政治家や官僚等)の嘘からわかるように、現在の資本主義には、魂も神も存在しないので倫理がない。だから現在において外科手術は普通のことで悪ではないのである。だから外科医は無神論者として非難されることはない、それが現代社会である。なぜなら現代社会自体が無神論(者)の社会だからである。政教は分離となり、法律の根拠は科学となり、哲学や宗教ではなくなった。経済の根拠も同様である。だから文系の場合、就職したいならば、経済学部か法学部に行くべきだと言われるのである。現在の経済学と法学の正しさの根拠は科学であり、哲学や宗教ではなくなっている(それが近代化とも言えるのである)。例えば裁判官は外科医を無神論者(あるいはサイコパス)なんて思っていない(科学技術に基づく現在の西洋医学においては内科医も外科医同様なのであるが)。だから裁判所の正しさの見解の根拠は、科学であるから医者(西洋医学)を絶対的に正しいものとみなし、大事なことは法や権力(立法・行政・司法)だと考える。つまり裁判所には神も魂も存在しないので倫理もない。経済学と法学部に行くことが就職に有利である理由は、正しさの根拠は、ともに科学(つまり自然科学。ここでいう自然科学とは物理・化学的であり、つまりは数学(数式)によって表せるというものである。)であるからである。つまり経済学も法学もこの世は自然科学の法則によって成り立っていると嘘をつき、魂も神も存在しないのだと(裁判所が)嘘をついている状態が現実(社会)なのである。だから外科医を無神論者(あるいはサイコパス)とは裁判所はみなさないのである(科学技術に基づく現在の西洋医学においては内科医も外科医同様なのであるが)。
  最近、テレビの報道番組に出ている女性アナウンサーがピアスをつけていることを知って唖然とした。少し前の日本社会なら考えられないことであろう。しかしよく考えると報道番組で流していることは殺人事件や傷害事件等なのでむしろピアスをつけていても何も問題ないのが現実で、だからそのテレビ局は許しているのかもと考えさせられた。ピアスをつけているアナウンサーを出しているテレビ局は倫理観を失い科学的に進歩をしているのである。
 
  *サイコパスが、政治権力を握れば、他人を殺すことにためらいがない(罪悪感を覚えない)ので、戦争をすることにためらいがないわけで、その結果、先の大戦(第二次世界大戦)のように、サイコパスの権力者は、なんのためらいもなく、戦争などしたくない、殺人などできない一般庶民に戦争をさせ、殺人するように、そして自死(自殺)するよう(特攻のように)に容易に強制するのである。今の現状を考えると戦前(第二次世界大戦)の状況に似てきたという意見があるようだが、どう思うだろうか?
 
(2023/12/12公開/2023/12/25更新)


                       



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